2017年6月15日木曜日

桶作りから「人生」を学ぶ

 桶作りから人生を学ぶ。

深く生きた人の“音”はやっぱり深い

浅く生きた人の“音”はやっぱり浅い


自分の“音”を深めることは
自分の生き方を深めること。


生き方とは、=心の豊かさだ。


心は磨けば必ず光る。

太鼓も同じ。


最初は分からないが、
それがだんだん分かってくる。

だから人生磨きが楽しくなる。


五十嵐さんの残した言葉の中に
「本物」と言う言葉があった。


ずっと考えてた。


「本物」って何だろう?

そんな私の素朴な疑問に
五十嵐さんがこたえてくれた。



人の心に届く物。
だんだんと分かってきた気がする。

本物の「愛」。


五十嵐さんの作る桶は、
本当に不思議なほどに
大きな愛に溢れてた。


だから、それが
受け取った人の心をあたたかくする。



良いモノを作ろうって
ずっと思ってた、、、


でもそうじゃなかった。



いくら、うわべだけで
物事を捉えていても

内側にある光は、光らない。


僕もいつか、
偉大な先人に近付けるように
本物の「愛」を追及したい。


桶作りから人の“人生”を学ぶ。


決して長い人生ではなかったけど
豊かな人生がここにはありました。


だから職人って面白い^ ^

ありがとう五十嵐さん。




1 件のコメント:

  1. 秋田では、日々いろいろな学びを得て気づきを得ているようですね。
    人の心に届くとはいかなることか?
    心に届けようと思うのなら、人の心に真っ向から向かい合わなくてはなりません。ぶつけるだけが届かせるではありません。
    相手を見るということは、相手の心を見ることです。
    自分が心を閉ざしていては、愛も優しさも届きません。
    五十嵐さんの桶は、五十嵐さんの心を宿しています。
    なぜ宿すことができるのか……それは五十嵐さんが桶作りにも桶にも人に対しても、真っ正面から向き合い目をそらさずに心と心を触れあわせていたからなのでしょう。
    五十嵐さんの桶から伝わる愛。
    「愛」とは優しさだけにあらず。
    「厳しさ」のなかに真の優しさ・愛がある。
    「厳しさ」とは「愛」なり。
    余計な飾りや鎧を削ぎ落とし、心を裸にしてぶつかり合うからこそ、心と心はわかり合える。
    ここ数ヵ月の間に、体験したことです。
    その人は、本気でぶつかってくれました。
    言いにくいことを言いづらいことを、心を裸にして伝えてくれました。
    だからこそ、お互いの心がわかり合えた。
    いかなる状況のなかでも、心と心を真っ正面から向き合わせる、それこそが真の優しさ=愛です。

    最近聞かせていただいたお話のなかで「職人はすごいと言われたらダメだ」というものがありました。
    職人はそれで「飯を食っている」
    「すごい」と言われる技も、職人にとっては日常なのだと、できて当たり前のことなのだと。
    五十嵐さんもきっと、「すごい」と言われるよりも「いい桶だ」と言われるほうがよかったのではないでしょうか?
    私も知らなかったんですが知り合いの職人さんの作られたものを見て「すごいねぇ」と言ったら、「すごかねえ。こんなん、毎日やっとることだで当たり前だ。」と言われたことがあります。
    本物って、そういうことなのかもしれません。
    当たり前なことのなかに本質って隠れていて、それを感じ取れることが愛なのかもしれない………。
    本物の愛とは、時に優しさ、時に厳しさをもって、伝わるもの。
    だから、今、五十嵐さんの桶から五十嵐さんのお道具から五十嵐さんの工房自体から、五十嵐さんの愛を和也くんは感じ取れているのでしょう。
    修行は、何も技を磨くことではありませんね。
    心を磨くことが修行なり。
    でも、「心を磨く」ということが、いちばん難しいことです。
    修行を終え戻られたとき、技も心もひとまわりもふたまわりも大きく成長されていることでしょう。
    修行、頑張ってください。

    本物の音って、想いを込め想いを伝えられるものだけじゃなく、聴いた人の心に届いて、聴いた人が「いい音だ」と心の底から感じる音だと思います。
    「いい音だ」と心震える音を待っています。


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