2016年1月7日木曜日

なぜ職人は減り続けるのか?

こんにちは、六代目彌市です。

2016年はあらたにいくつかの目標、
取り組みを掲げていますが


その一つに桶製作技術の習得という

大きな課題があります。



みなさんご存知桶胴太鼓。


当店でも、三六-SABUROKU-や担ぎ桶など

最近ではくり抜き胴の太鼓よりコストが安価で

運搬や利便性も兼ね備えて、大変人気の太鼓なのですが


この桶太鼓の胴というのは、

当店では以前から桶職人さんの手を借りて製作してもらっています。



当店自慢の大太鼓三六-SABUROKU-。こちらの胴も桶胴




こちらは担ぎ桶太鼓。




そもそも、みなさん“桶”って何だかわかりますかね~( ;∀;)


最近の若い人たちは、

生活の中で桶に触れる文化がほとんどないのかもしれません。



ひと昔前であれば、

風呂桶やすし桶など、一般の生活の中でも


ごくごく当たり前に桶が使われてきましたね。



それが、生活スタイルの変化や時代の流れによって

人々の生活の中から桶を使う文化というのが


ほとんど見られなくなってしましました。




人々の生活の中に需要とニーズがなければ、


やはりどんなに腕のいい職人技や高い技術と価値があっても


生き残ることは難しい。。。



そんな現実を私は日々目の当たりにしています。


数年前までここ地元岡崎にも、桶職人さんが見えたのですが

残念ながら、今は一軒もなくなってしまいました。



需要やニーズがなくなってしまった現代社会の中で

後継者が育たない、


後を継がせる環境にないというのが
一番の要因のようです。


たまたまひょんなご縁で知ることになった

地元愛知の桶職人さん!


まだまだ元気とは言え、
御年80を越える高齢者。




残念なことに、後継者の方は見えません。




テクノロジーの進化は職人の技術と必要性を奪うのでしょうか?



そこに本当の豊かさがあるのでしょうか?


少なくとも私は疑問を感じています。



桶職人さんに限らず、


今、日本の大切な大切な文化の中で


あと10年もしたらなくなってしまうこと、、、


きっとたくさんあると思います。




でも、


なくなってしまったらその技術や歴史は

お金で決して買えるものではありませんから


きっと誰もが困るはずです。



困ってから気付くのでしょうか???



便利さを求めることは決して悪いことではないですが、



便利さを誤った価値観で捉えてしまうと

文化そのものが薄っぺらくなってしまうのかもしれません。



この桶職人さんは、

今でも薪をくべて、お風呂を炊かれているそうです。


下からくべた風呂は、何分たっても湯冷めせず
とても温かいそうです。



“現代人は何でも上から落とすだけ”



そう現代の社会に対して話されていた言葉が
印象的でした。


お昼ご飯に伺った隣のお寿司屋さんは、

この桶職人さんが作られた寿司桶を30年も使い続けているそうです( ;∀;)




水分を適度に吸って、おいしいしゃりができるんだ!

これじゃなきゃ家の寿司はできない!


そう、熱く語ってくれました(^^)




太鼓もやっぱり同じなんですよ~。


表面的には太鼓のようなカタチが作れても、

“本質”のないモノというのは


本当に良いモノ、良い価値を生みません。




大切な文化とともに、


人々の豊かな本当に大切な心まで失わないように

していきたいですね。


本質のあるモノの価値は“時間”がかかるということ。


手間暇こそ、日本の忘れてはいけない

大切な“文化”なのかもしれない。。。



そんな事を感じた一日でした。