2015年12月21日月曜日

受け継がれるモノには必ずその“理由”がある。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


今日は今年最後の講演の機会を与えていただき

お話をしてまいりました!




そんな今日のお相手は、税理士の先生方( ;∀;)


税と、伝統となにか共通点があるのかないのか、、、


それでも、私がお伝えできることをすべて出し切ってきましたよ(^^♪


いつもなら、狭い楽屋も

今日は一人なので広いんですが、寂しい(^^)
















人に話をするというこは、

まず自分の頭の中がきちんと整理できてないと

上手に話をすることができません。



講演の機会を与えていただけたことで、

自分自身の考え方、過去をきちんと整理することができました。




私にとって、いつも伝えたい思いはただ一つです。



自分自身が普段の仕事から感じる“伝統”とは?


伝統、伝統と言葉にすることや

聞くことはよくありますが、



じゃあその伝統って具体的に

何だろう?ということです。


辞書で引くと、このように出てきます。


伝統とは・・・歴史を通じて後世に受け継がれていくモノ。



ほとんどの人が言葉としては理解はできますね。



では、いったいどういうものが実際に受け継がれていくモノになるのでしょうか?



これだけモノに溢れ、何不自由ない世の中で

世代を超えてまで受け継がれるモノってどれだけあるでしょうか?




私は、受け継がれるモノには必ず受け継がれるべく“理由”がある。


そう感じています。


逆に言えば、“理由”なきモノは残らない、残されない、受け継がれない。



理由とは、“価値”であり“本質”です。



価値のないものは捨てられます。


価値のないものは買い換えられます。


本質のないものは、残されません。




すでに200年、300年、400年と
受け継がれた古い太鼓がその答えをいつも私に教えてくれるんです。



太鼓にとっての価値、本質とは“音”そのものです。



見た目がボロボロで、カタチがいびつな
古い太鼓たちであっても、


200年300年と現役で活躍し、
今なお人と人、人と自然をつなぐ音を奏でています。



そして、こうした“音”つくりへの情熱には


先人たちの“知恵”が積み重ねられています。


積み重ねられた歴史、知恵を失うのは一瞬です。


やめてしまったら、なくなってしまったら

その歴史をあらたに手に入れることはできません。


時間や歴史はいくらお金をだしても
変えるものでないのでね。


私も、自分自身の世代から次の世代へ

一つでも多くの知恵を重ねてつなげられるよう


これからも精進していきたいと思っています。