2015年8月3日月曜日

「感謝」を伝えていきたい訳じゃない。零~ZERO~ライブ鼓音魂-KOTODAMA-を終えて。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


暑くて熱い!今年の夏!

みなさんいかがお過ごしでしょうか?


ライブも終え、地元の祭りも終え
ようやくひと段落です(^^)

久しぶりのブログになりましたね~
書きたい事、伝えたい事、

山ほどあるんですが
頭の整理と身体の体力が追い付かず(>_<)


ようやく8月に入り書く気力が戻ってきました。
三浦太鼓店のプロフィール写真も夏バージョンです(^^)/


暑中見舞い申し上げます。




さてさて、とにかく書きたい事
たくさんある中、


何はともあれ先日の瀧山寺での零~ZERO~ライブ、
お寺はもとより、地域住民の方々、太鼓関係者、スタッフ、友人、家族


本当にたくさんの方々にご協力いただき
無事終えることができました。

お礼のあいさつ遅くなってしまいましたが
本当にありがとうございます。


今回の公演は、たくさんのたくさんのメッセージを伝えたい。


一つや二つじゃないですよ。


本当にたくさんのメッセージ。



どうして、その想いを伝えたいのか....


その根っこにあるのは、「感謝」の意です。


でも、ステージ以上で感謝を伝えたいわけでは決してありません。


お客さんだって、「感謝」を伝えてほしいわけでないと思っています。




私は太鼓屋として幼き頃から太鼓とたずさわってきました。



生まれた環境、そして今。


目の前にある和太鼓とただひたすらにまっすぐ
向き合い続けたとき、ただ一つの光が見えてきたんです。


それが“音”でした。


活きた太鼓の“音”は人と人とつなげ、人と自然をつなげ

そして世界を豊かにするんだ!


もともと、太鼓が人を豊かにすることは分かっていましたが
明確な理由までたどり着けなかったんです。


その答えがハッキリと見えたとき

わたしはその事を現代の人たちに伝える“役割”をいただけたのだと
感じました。


これこそ私の中にある“感謝”。


だから私は受けた役割と真剣に向き合い
そのご恩を返していきたいのです


私にとって演奏活動も太鼓作りもまったく同じです。


活きた音を作るということは、

その先につながる世界を豊かにするという事。



活きた音を演奏するという事は、

その先につながる世界を豊かにするという事。




どちらも“豊かさ”があります。




お寺や神社というのは昔から人々との本気の願いと思いが集う場所。


では、そこでいったい何を願ってきたのでしょうか


ご先祖様に感謝し、自然の恵みに感謝し、今ここに感謝する。


“願い”というのは“感謝”。



ああしてほしい、こうじゃないといけない、お金がほしい、名誉がほしい

あの人がこうだから、奇跡が起きます様に.......



現代人は願いと言うのがどこか自分の外へ向けた
→お願い事だと勘違いしがちです。


でもそうではないと私は思います。



人間にはいろんな“欲”、“欲求”があり
それが時として素直な気持ちを邪魔します。


国も違えば文化も違う。


価値観なんてものは親兄弟だって違う。



でも!みんなおんなじ。




世界を変える事はできないかもしれない。


でも私には少なくとも私と関わってくださった
目の前にいるたった一人の人とのつながりを大切に


私にできる最大限の感謝と役割を全うしたい
そう思っています。


本気の願い、本気の感謝。

どんだけ本気で願い、どんだけ本気で感謝したって
届く先、伝わる先はまだまだ小さい。


それでも目の前にいるたった一人と
やはり私は向き合う事、そして


自分自身と向き合う事大切に
世界がより豊かになると信じていきたいとおもっています。