2015年6月30日火曜日

太鼓は『音』。それ以外に何も必要ありません。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


いよいよ怒涛の6月も今日で終わり。

昨日も1日、あさから住んでいたマンションの大片づけに
おわれていました。

5年住んだかな~
今のマンションに。

最後は空っぽになった部屋に家族そろって訪れて
「ありがとう」と伝えて帰ってきました。

この部屋でうまれた5年間。ほんとうにいろいろあった。


今日からあたしい人生のスタートだ(^^)/



さて、そんな私の新しい人生のスタートに
これまたとんでもなくうれしい依頼をいただいたのです。


「講演」。


講演と言っても、一般の方々へのお話しということではなく
名古屋のある太鼓グループの方々からのご依頼。




私には今どうしても伝えたいなという思いに溢れています。


でも、伝えたいと思っていても

それを受け止めてくれる、受け取ってくれる人たちがいなければ

何の意味もなければ、私の存在すら意味がないです。



そう思っていた時に、今回のお話し。



だからこそ、今の私の中にあるすべてを伝え
持って行ってください。


そんな気持ちでお話をさせていただきました。



日々、ブログや演奏活動を通して
私なりの角度でいろんな伝えさせていただいています。


なかなか、現実に太鼓作りの工程や
伝統に触れることがないみなさんにとっては


私の言っていることがメッセージとして伝わりにくいのかもしれない。


それも分かっている。


だから、いろんな角度で伝えようと
必死になって考える。


角度はいろいろ考えますが、結局言っていること、伝えたい事は

たった「一つ」なのです。


太鼓は、音。 


このことを分かりやすくひもといていきます。




音というのは、言葉。

言葉というのはコミュニケーションでありメッセージです。


言葉やメッセージというのは何のためにありますか?


それはコミュニケーション、意志の伝達ですね。
人の会話と一緒だという事です。


だからその気持ちやメッセージを伝えたいのであれば、
音を届けなければ伝わらないということです。


伝わっていますでしょうか??



「音を伝えない」という事はメッセージを伝えていないという事です。


自分の言っている事(音)も分からないのに人に
聴いている人にメッセージが伝わるわけがないですよね。



目の前にあるのは、世界に類をみないほど
その意志とメッセージを強く伝えらえる楽器である「和太鼓」なのです。


太鼓は音。


昔から当たり前のように音をとどけてきたはずなのに、


現代の社会環境が、こうしたたくさんの「あたりまえ」を失ってしまったのかもしれません。



あたりまえとは真理。


真理とは変える事の出来ない大切なこと。



太鼓は『音』。



それ以外に何もありません。









2015年6月26日金曜日

残るモノ、残らないもの。残したいモノ、残したくないもの。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


新居今月のあたまに完成してたのですが
いろいろ重なる準備もあり、

いよいよ明日引っ越しーーーー!


もうとにかく、我が家は今片づけでグチャグチャです笑


思い切って捨てる捨てる!



というより、山となる捨てるゴミの山をみていると
こんなにも不必要なものと一緒にいままで暮らしていたのかと・・・



残したいモノ、残したくないもの・・・・



なにげなく判断しているようで


残されるモノと、残されないモノって

いつもいいますがやっぱり理由がありますね。



これ、古い太鼓の皮張替えで抜いた太鼓の鋲(びょう)


普通の人がみれば、これって

さびてボロボロ・・・


こんなのもう使えない。。。



そう思いますよね。普通。



でも、この鋲はまた再利用できるんです。



再利用できるというより再利用します。


ほら、こうやってきれいにしてあげてね^^;








この鋲は、今回の張替えだけではなく

幾度の張替えの際にも一旦は抜かれたのですが


また使ってもらえた鋲たちです。



傘と、釘の部分が、昔の職人さんがひとつひとつ

手作りで手間暇かけて作られているので

非常に丈夫なのです。



現在の機械で作られた鋲にすればもちろん新品なので

綺麗にはなります。


でも、その機会の鋲は1回ぽっきりで、使い捨て。


次張り替える時抜いたら
再利用できないのです。


弱いから。



本質のあるもの、真理に沿ったモノってなんでもブレないから強いです。


よく、それは三浦さんだから
判断できるんですよね~


と、言われますが

全然そうじゃない。



日常生活で、みなさんごくごく当たり前のように

良い悪い、残す残さないを判断して生きています。



モノも、人間関係も同じです。


親友、親しい友は残らないけれど

心友、心の友は永遠です。




きちんと、本質のあるモノって

やっぱり強い。



そして、そこから学ぶ大切なことが私はたくさんある。



現代は、あまり深い世界をもしかしたら
もとめていないのかもしれない。


もしかしたら心友より親友でいい。


そう思っている人のが多いのかもしれない。



そういう価値観はちろん否定はしないけれど、

それだけに偏ってしまうと大切な何かを見失う気がしてしまう。



少なくとも、私は心友に恵まれたことに感謝する。

2015年6月21日日曜日

“伝統”ってなぁーーーんだろう??

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


昨日は、100名ほどのお客様の前で
お話をさせていただくとてもとても貴重なご縁をいただきました。




普段、人前にたち演奏し
人前で話す機会が多いですが


こう見えてもわたし、超超超ーーーーーーーーー

上がり症・・・・(>_<)



まぁそりゃ~数日前からお腹の調子が悪くなる症候群ですよ笑


緊張の先にあるのは、単に恥ずかしい気持ちと

もうひとつは、きちんと自分の中にある想いを

“きちん”と伝えたい。 伝わるといいな!という願いからです。


そんな今回のテーマは『伝統を守り 伝統を創る』

さて、伝統ってなんだろう?????


というお話です^^;




さて、来場いただいたお客様にも質問しました。


伝統芸能、伝統工芸、伝統、伝統と私たちは普段から
口にしますが、


伝統とは何ですか?と聞かれたら
みなさん何と答えますか???




受け継がれたもの。

すぐれた技術や芸術芸能。

長く受け継がれてきたもの・・・・



辞書で引いてもみなさんに聞いても

同じような認識はありますね!



言葉で言うのはたやすいです。かんたんです。



では、


受け継がれたものや長く受け継がれてきたものって


逆に言ったら、どうして長く受け継がれてきたのか?


分かりますか???



これこそが“伝統”の本質だと

私は思っています。



受け継がれたもの、長く受け継がれてきたものには

必ずその“理由”があるんです。



理由のないモノは絶対に!受け継がれることはないです!



私は100%そう言い切ることができます。



理由のないモノというのは、“価値”や“本質”が無いモノと
言い変える事ができます。


ならば、受け継がれたものというのは

“価値”や“本質”がきちんとあるモノと言い変える事ができるんです。



伝わっていますでしょうか?




この違いこそ“伝統”のなかに宿る大切な大切なメッセージです。



今年で創業150年、私は受け継がれた古い太鼓から、
太鼓にとって一番大切な事がなにで、

そして、そこから受け継がれるべく“理由”を
学ばせていただく事ができました。


太鼓にとって一番大切なこと。




常々言っている事かもしれませんが

何度も言います。


太鼓にとって一番大切なモノ、それはたった一発の“活きた音”



300年、400年、500年


いくら古い太鼓であっても未だ現役なんです。



そんな太鼓がたっくさん!あります。



なぜでしょう。


今の世の中は、これだけモノに溢れ豊かな時代。


科学や文明も発達しています。

そんな現代において
あなたの目の前にあるモノで

200年、300年残るモノってどれだけありますか??



壊れたら、ポイっと捨て


直すことも考えず、また新しいモノを買う。



そんなモノに溢れかえっています。



壊れたモノをわざわざ直してまで使おうと思わないし

大切に残そうとしないのは、そこにそれだけの“価値”や“意味”がないからです。



残す“理由”がないのです。


だから→残らない。



残されるもの、受け継がれるものにある“理由”




わたしがこうして声を大にしていわずとも、


誰もがそれを感じ、選択し、生きています。



大切なこと、大事なことは身近にあるからこそ見失いがちなのかもしれない。



家族、自然、自分、ご先祖様、仕事


本当の“豊かさ”



“伝統”とは、先人たちの知恵なんです。



それは、単に太鼓と言うモノではなく


人としての生き方のお手本です。





2015年6月17日水曜日

自分の心は目に見えないから苦しいのかな。じゃあもし心のカタチが見えたらどうだろう?

こんにちは、六代目彌市です(^^)/



やっぱりいろんな事は重なるということで、

来年に向けての事業やプロジェクトが進行中(?_?)








正直、私のこころの中はパニック状態ですが笑



こういう時こそ、一つずつの積み重ね方が大事。


その対応の仕方を学べているんだ!と思って
がんばります(^^)



人は外見は見えても、その心の中までは見えないです。


自分自身だって、感情や思う事はできても

その自分の心の状態やカタチは“目”で見ることができないですよね。



だから、きっと不安とか恐怖とか、怖れとかを抱くのかもしれない。



苦しい時、悲しい時、つらいとき、不安なときに

自分の心のカタチがもし“目”で見ることができたらどうでしょう......



このモデルさん知ってますか?


モデル『ウィニー・ハーロウ』さん





彼女のまだらな肌は演出ではなく「尋常性白斑」という、
肌の一部の色素を失ってしまう病気。


4歳で発症して以降、「牛」や「シマウマ」とからかわれ、いじめられ、
自殺しようかと考えたことも何度もあるそうです




そうですよね。


“見た目”が普通の子供たちと違う彼女は
やっぱり“いじめ”の対象になってしまう。


どうして自分だけ違うんだろうと


悩みと苦しみ以外にはきっとなかったんだろうと........




それでも、彼女はそんな自分自身と向き合います。



「神様は私を黒人にも白人にもせず、その両方を授けた。だからこれが、私の生きるべき姿」



私は、彼女のこのメッセージを読んだとき、



ああ、この人の外見に現れた模様は、彼女の“心の姿”そのものだと。


ほとんどの人が目に見えない自分の内側にある心の姿を


彼女は、こうして自分の外見に現れたことで見る事が出来る。



だから、そんな自分とまっすぐに向き合い
自分のすべてを受け止めることができているのかもしれないなぁと。



この病気になったことが幸せか幸せでないか、
良いか悪いかは私には言えませんが


多くの人が自分の内側にある見えない心と戦っている中、


彼女の生き様を見て、やっぱり人は自分自身と向き合えきれる事で
輝きだすんだと感じました。


だから、彼女にとってそんな心の姿が見えたことは
幸せなことなのかもしれない。


多くのモデルの中にいても、その美しさと存在感、オーラは
ひときわ輝いて見える。


何か大切なことを教えてもらってる気がする、
すばらしいエネルギーを持った女性だ。











2015年6月13日土曜日

10年前の自分からの手紙。私の“原点”は与えてもらった事に対する感謝の反動。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/



新居は完成しましたが、引っ越しはこれからです(^^)

今は、引っ越し前の片づけに追われてます~(>_<)



こういう時は思い切って捨てる!!!


片づけコンサルタントの、こんまり先生にならって

ときめく~!


ときめかない~!笑



ですね。



さて、そんな大掃除をしていたら

10年前、零~ZERO~がはじめてライブをやった時の
大切な資料が出てきました^^;


当日のお客様アンケートや、準備した資料一式・・・



今となってはどれも大切な宝物です^^;



そして、その中にからこんなメッセージが出てきたんです。



人に見せるために書いたものではないので
汚い文字でゴメンナサイ(笑)



このメッセージが出てきて思い出す。


初ライブ公演直後、

当時の師匠に何年かして必ず大切なメッセージになるから


今感じた素直な気持ちを、自分自身で書き留めておきなさい。



まさに、私自身が感じた私自身のメッセージだ。




“ZEROにしかできない事をみつけて、自分たちの
 思いが伝わるようになって行きたいと思った”



初舞台に立った時、最初の感動は

演奏の途中でお客様から拍手をもらった“瞬間”だった。


その拍手をもらった時、正直ドキッとしたのを
今でもハッキリ覚えている。


だって、まず拍手をもらった経験がまったくなかったこと、

そして、自分たちの演奏が人に感動を与えられたの!?という驚き。



初舞台なので、

緊張緊張、とにかく緊張しかなく


曲を演奏すること、舞台に立つことで精一杯だった。


1曲目ですべてを出し尽くし
2曲目からは握力が全くなかった事も覚えている笑



そんな、初ライブの後にも関わらず

私は、自分たちにしかできないことを
みつけて伝えられるようになりたいと自分で語っていることに


驚いた。



そして、10年たった今でも
その想いはまったく変わっていない事に気付く。


私にしかできない事、

その人にしかできない事、

あなたにしかできない事、



私にとって、“伝えたい”と思える原点にある感情は


きっと、与えてもらったことに対する“感謝の反動”なんだ。



はじめて、舞台で拍手をもらった時に、

何より、誰より感動していたのは


演奏を見に来てくださったお客様ではなく“私自身”だった。



その拍手の中には、少なからずそこに至るまでの
経験と過程があり、その先に生まれたもの。



私はお客様から、メンバーから、太鼓から、まだまだ
数えきれないほどたくさんの事から“与えて”もらった。


だから、その与えてもらった経験と感動を

恩返ししたい。



それが、私にとって“伝えたい”原点なんだと。


10年前の当時の写真です笑


若い^^;


ちなみに、左上わたし、その隣はバットマンこと湯佐光二

そしてその隣は、東京でななしきとして活躍中の元気マン^^;


双子の妹もいますよ~ みーみ。 しーし。

分かるかな笑





そして、今なおこの伝えたい延長線上に立っている。


今度の瀧山寺でのライブはそんな私たち零~ZERO~の

新しい1ページなる事は間違いない(^^)/




2015年6月9日火曜日

“ない”を生み出すが時代の“ニーズ”を創造する。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


今月は忙しい、忙しいと・・・(>_<)


あまりに忙しいのでバイトを雇う事にしました(笑)


あまりに忙しいので三浦太鼓店バイトを雇う笑



地元岡崎市のキャラクターのようなもの??


実は非公式キャラの「オカザえもん」さん(^^)/



今や、岡崎は知らなくてもオカザえもんは知ってる!


というほど、全国区のキャラ。すごいです(^^)




では、なぜオカザえもんの事を全国の人が知ってるのでしょうか・・・



それは、SNS、インターネットの時代だから。



一昔前だったらこんな事ぜったいにありえないですよね。



三浦太鼓店もそうです。



インターネット、外とのつながりが全くなかった時代は


地元三河地域を中心としたお客様。


と、言うより


それ以外の外とのつながりは全くなかったですね。



それは、当然です。


知っていただく方法がなかった時代なのですから。



全国ネットのテレビコマーシャルでも打てば
別なのかもですが、一個人企業がそんなことはできません。



SNSの登場で
今や世界が一瞬でつながれてしまう時代。


SNSの代表ともいえるFacebookなんかでも

Facebookのような機能を世界の人々が最初から
求めていたというより


Facebookの登場により時代が、社会が変化していく・・・

そんな感覚ですよね


ニーズを聴くのではなくニーズを生む。


革命的であり異端的です。



FacebookやSNSというのは現代社会の新しい“つながり方”を
生み出したんだと思います。



われわれ人間は真理の中に“つながる”という事を
無意識に求めています。


なぜ、“つながる”を求めるのかは分かりません


でも、本能でつながりを求めます。


太鼓の音もそう。


活きた音を作りたいと、太鼓作りに励んでいますが

私がいう“活きた音”は“つながる音”なんです。



太鼓作りの過程で、一つ一つの作業を

きちんとつなげていくと、その先にうまれる“音”が活きるんです。



逆に、きちんとつなげられないと“音”がいきないんです。



そういう太鼓を作ってしまった時は
わたしはその太鼓を破壊します。


だって、活きない太鼓の音は“つながらない”からです。



つながらない音を聞いて人は感動しません。


なぜかと言うと、人の心にもつながらないからです。



つながる活きた音は昔から人々の中心にありました。


祀り、神事、願い。


その音がつながっているから、その先につたえる願いにつながっていくんです。



太鼓にかかわらず、つながる事が永遠のテーマだとしたら


“ない”を生み出したFacebook、インターネット、SNSも


現代社会における人々のつながりを求める欲求が
そのニーズを生み出したのかもしれません。


うまくいく人、うまくいく会社

売れる商品や売れる企画・・・



利益とか名誉とかじゃなくて

そこに人の本能と“つながる”ものが創造できたら


やっぱり、じょうずにつながっていくのでしょうか・・・



つながりは“真理”ですから。




2015年6月7日日曜日

“活きた音”とは「人と人をつなぐ音」。この大家族が教えてくれた生きる真理。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


先日の6月4日をもちまして
五代目親父無事に人生の二周り目である還暦を迎える事が出来ました!


多方面のみなさまから、
ほんとうに温かい祝福メッセージをいただきまして


なんとお礼を言っていいのやら
親父もすべてのメッセージ読ませていただき

感涙しております(>_<)



みなさん無事還暦を迎えることができました(^^)/



そんな親父と昨日交わした会話。



親父:私の父、つまりおじいちゃんは60歳の時は
すでに病院通いで仕事はまったくできる身体ではなかった。

自分もその歳になったのかと。。。


あと何年仕事ができるか・・・





親父のお父さん、つまり私のおじいちゃんは若いころから病気がちで
おじいちゃんが仕事をしている姿を私は写真でしか見たことがありません。


おじいちゃんが親父と同じ60歳を迎えたころは病院通いで

すでに仕事ができなかったそうです。




そうだよな~、


60をこえるとそろそろ社会的には定年の時期。


昨晩集まった家族全員の前で来年は和也に代を譲ると
話した親父の姿をみて、親父の節目は私の節目でもあると強く感じました。


今年で創業150周年。


先祖代々つながった私たちの仕事。


激変する社会環境の中で“ビジネスの真理”が問われる時代。



働く事とは、生きる事とは、ビジネスとはいったいなんだろう・・・


子供5人、孫10人という大家族が集まった中
私はふとそんな事を考えていました。




どっからどう見ても幸せそうに見えるこんな私たち三浦家でも


あたりまえのように、家族の危機はたくさんあった。


こんな事がどうして起こるのか、
大きな問題はひとつやふたつではなかった。

家族崩壊の危機すら幾度もあった。


でも、いかなる時も

どんなピンチも乗り越えられたのは
やっぱりこの家族だったから。



人と人がつながることの大切さを
私はこの家族から学んだんだ。




もしかしたら、ビジネスの真理も、人間の真理も、生きる真理も

すべての答えはここにあるのかもしれない。



私たちが今、掲げる理念“活きた音”というのは


言い変えれば、「人と人をつなげる音」なんです。



私たちの作る音を通して、
たくさんの人の心と心をつなぎ、幸せを届けたい。



「太鼓」という“モノ”を作りたいのではなく、


その“音”を通して人と人の心をつなげたいのかもしれないと

感じた瞬間でした。



まだまだ、親父のような“覚悟”は私にはないけれど、

いよいよバトンを受け取る姿勢になれと

親父に背中を押されました。



親父、還暦おめでとう!

末永く健康で一緒に仕事ができたらいいな(^^)/












2015年6月4日木曜日

真実の音とはどこにあるのか。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


今日はいろいろとおめでたい日です。


おめでたい事は重なるモノで、
五代目親父、本日めでたく還暦を迎えました。


そして、今月から二世帯になる新居が
本日引き渡しとなります(^^)/


さて、さて新しい生活と環境。


どんどん自分の周りで変化の流れが
激しさを増す感じがしています


ついていくのが必至と思っちゃうけれど

流れのままに身を任せ、流れに逆らう事はできないから


肩の力抜いて寄り添っていきたいと思います!




さて、


昨晩はライブ告知の為、メンバーのかずぼんとたけゆうが

FM岡崎へ出演してくれました(^^)/



昨日は零~ZERO~練習日だったので、

出演していないメンバーは車に乗り込んで視聴(^^)/



正直、自分が出るより緊張したわーーーー笑


なんせ、普段いちばんしゃべらない二人に

あえてお願いしたので、出る前から放送事故だ!


と、盛り上がってましたよ笑


パーソナリティのなっちさんに助けられ^^;

なんとか、かんとか乗り越えましたかね笑


ちゃんと伝わったのかな~苦笑



その後は、ラジオ出演を終えた2人が戻り

めずらしくバチを置き、日本生命さんでの出演ビデオをみながら


反省会。





2ヶ月を切ったこの時期に

バチを持たないことなんて

いままでだったら絶対にやらなかった。


でも、これも意味があるのかもと
ふと感じて昨日はあえて練習をやめ、ミーティング。





やはり、客観的に自分たちの姿を見るということは


とても大事なことですね。



普段、真剣になればなるほど、


自分たちに集中すればするほど、結果周りは見えにくくなってくる・・・



ビデオを通して見えてきたのは、


曲の善し悪しや技術とかリズム、テンポではなくて


私たち零~ZERO~だからこそ伝えられる事ってなんだろう。。。



その答えが見えてきました。



10年向き合い続けたのは、太鼓だけでは決してなかった。


やはり音楽は人と人、自分以外の世界との関わり方、つながり。



それがつながってはじめて“感動”だし、

聴いてくださる人たちにメッセージが伝わると確信しています。



太鼓の技術が上手になることも大事だったけれど、


それ以上に、価値観の違う者同士が

どうしたら一つになれるか、つながることができるか・・・


私はリーダーとして、ただその事だけに向き合い続けてきました。


だから今の零~ZERO~がある。



コンサート直前にコンサートを辞めようと思ったことすら
あったよ、真剣に・・・


こんな私たちですら。



真剣に生きようとすればするほど、生きる事はなぜこんなに苦しいのかと、

思い悩む日々も多かった。



もしかして、10年で学んだことは

太鼓の技術なんかではなく、人としてどう生きることが


本当の幸せであり、価値であり、役割なのかという事を


私は零~ZERO~を通して学ばせてもらった気がします。




昨日の話し合い。


だからこそ、今回の瀧山寺のステージに

私たち零~ZERO~が立たせてもらえるのおかなぁと。



本気のつながり、本気の愛、本気の想い、

自分だけではなく、周りにいる人、環境と向き合い続けたこの音は



きっと、きっと、それを伝える役割と使命をもらえたんだと。



許す、認める、手放す、受け入れる、受け止める・・・



真実の愛とは、真実の音とは何か解き放つ事で
見えてくる世界なのかもしれませんね。






2015年6月3日水曜日

何事も土台があってこそ輝けるその先に。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/



自分史上最大に忙しい月がやってきました(>_<)


何かと重なると言いますが

ここまで重なるとまた乗り越え方に工夫をしないと
正直すべてがパーー!

ああ、こんな時こそ自分に優しくしてあげよう笑




さて、今日もお仕事お仕事。

今日はとても良い相性の皮と出会えたので
三六-SABUROKU-を製作します。


三六-SABUROKU-ほど大きな太鼓になると

牛革1頭のほとんどを使うのですが、

やはり皮は生き物ですので


1枚の中で厚さは均等ではなく

厚いところ、薄いところがあります。



それを均一にするというか、

皮を削る事で、実際に完成したときの“音”を作っていく


とても大事な作業があるんです。



ケヤキの1枚板。

この上に皮を置いて削るのですが、


いくら目の詰まった丈夫なケヤキの板でも

長い間使い続けていると表面はかなり凸凹してきます。



最近あまりにも皮を削るのに
やりにくさを感じていたので、


知人の建具屋さんへ持ち込んで

表面磨いてもらったんですね!


その皮を削る台と道具がコレ^^;




凸凹していた表面が、鏡のように驚くほど美しく

まっすぐにきれいになりました!



実際、この蘇った台の上でいつも通り
皮を削る作業をしてみると、


これまた驚くほどカンナの刃が素直に
入っていく。


ああ、土台ってこんなにも大事なんだぁと


体感した瞬間でした。



最近、皮を削る時あまりにも調子が良くないので
ずっとカンナのせいしてましたが、

カンナが悪いわけではなく、土台、基礎がしっかり
できてなかったんですね~


何事も、土台、基礎が大事だと言われますが

本当にそうだ。


土台ひとつでその上に立つものが
自由に安心して役割を果たすことができる


そしてその土台や基礎があるから
その先がちゃんとつながっていく。


演奏者として舞台に立つとき、
その土台がしっかりしてなければ

足は踏み込めないし、



明日、いよいよ新居の引き渡しなのですが
一家の大黒柱がしっかりしていれば

やっぱり安心して暮らせる。



我が三浦太鼓店も五代目親父がいるから

私は今まで安心して自由奔放に飛び回ってこれたなぁ~



そんな親父も明日の6月4日をもって

人生の節目である60歳還暦を迎えます。



まだまだ私にとって土台であり、基礎の存在ですが

いずれ自分がその役割を担う時が来る。


人生の基礎を教えてくれた
偉大な親父でございます^^;


私もそんな人を支えられる人になれるだろうか・・・


そうなりたいと願っている。