2013年5月28日火曜日

日本の音に宿る本質

こんにちは、六代目彌市です!(^^)!

そろそろ今年も梅雨入りの声が聞こえつつあります
長雨や湿気が好きという人も少ないと思いますが

日本特有のこういう季節があるからこそ
できることもたくさんありますね


さて、先日縁あって屋台囃子で知られる本場
埼玉県は秩父市から

秩父屋台囃子傳承會の若手太鼓打ちが
ご来店くださいました!


こんなチャンスは逃してはならぬ!?


と先方さんの都合を差し置いて、零メンバーを引き連れて
勝手に太鼓のご指導を依頼してしまいました(苦笑)








まぁとにかく驚きと衝撃の連続でした!



そもそも私達が習ってきた屋台という曲は
地元の方からそもそも習ったものではなく

すでに舞台用にアレンジされたものを
舞台用だという名目で習っただけ・・・


姿カタチは近けれど、


正直、まったく別ものでした。



何がちがうのか?


言葉で伝えきれるか分かりませんが、
舞台用にアレンジされていく過程の中で

やはり本当に必要な音、だったり
“本質的”な部分、核となる部分が失われていた事に気付きました。



屋台囃子という曲の中に込められた
一番大切な本質的な“音”が、残念ながら舞台用という形で
アレンジされてしまう過程の中で失われてしまっていた事に気付かされました。



私達が太鼓つくりで大切にしている活きた“音”を伝えたい
という事と同じです。


伝統を守るためには、その時代に求められる変化にも
対応していかなければ、それはそれで届かない事もあります。


そういう意味で私は“伝統を守る”とは“伝統を創る”事だと思っています。


ただその創る過程の中でやはり一番大切にしなければならないのが
そのものの持つ本質的な部分、核になっている部分だと強く感じます


屋台囃子の音一つ一つに
全て意味があるという事にはじめて気づくことができました。

どちらかと言えば
正直私達が習ってきた屋台囃子というのは

パフォーマンスや見た目でしかありませんでした。


そこには本質的な核となる“音”は残念ながら存在して
いなかったという事が分かりました。


今回は短い時間で
今の私でも深いところまで理解しきれなかったので

これから時間を重ねて
本場の音を学んでいければと思っています。



日本の音というのは、西洋音楽と違って
必ずしもきっちりとした楽譜にできない部分もたくさんあります


ただ、楽譜にできないから音楽ではないという事ではなく
その音の中にはちゃんと日本人の魂と音楽とグルーヴが宿っています。


頭ではいくら考えてもたどりつけない
“感覚”的な事だと思います。


事実、この屋台をはじめ日本各地の祭りの音は
楽譜ではなく、口伝や口唱和という形で継承されてきました。


伝統の音の中にある
本質に触れ、久しぶりにしびれた貴重な体験となりました!(^^)!